私たちしか出来ない。
独自のスタイル。
私たちしか出来ない。
独自のスタイル。
「勘定系システム」は銀行における基幹系システムの中核で、概ね10年から20年でリニューアルするのが通常と言われています。銀行業務の中でも最重要システムであるため、そのリニューアルともなると大規模なものになります。ここでご紹介するのは、東北のある地方銀行様が勘定系システムを入れ替えるに際してプロジェクトのマネジメントご支援をさせていただいた時の事案です。こういった事案は大抵、銀行様からお声がけいただくことが多いのですが、この時はシステムベンダー様が我々のことをお客さまに紹介してくださって、私たちは銀行側の事務局として当社から2名でプロジェクトに参画しました。
当時、プロジェクト進行に問題があるのは明らかであるものの、現状を正しく認識する物差し、プロジェクト管理がうまく機能していない状況でした。そこで最初に行ったのがプロジェクト状態のアセスメントです。現状の否定から入ることに申し訳なさを覚えながらも、銀行様とメインベンダー様の懐深いご理解を賜り、本格的なご支援を始めさせて頂きました。システムが変わることによって現場の業務が変わり、行員の方々の研修、システム運用の体制も変えなければいけません。商品・サービスも変わるため、銀行を利用されるお客さまへの周知も必要です。やることが多岐に渡ってくるので、取り組む順序や整合性をマスタースケジュールに落とし込んだり、プロジェクトの基本計画書やプロジェクト管理要領を策定したりと、全体の活動指針にしていく大事なドキュメントをお任せ頂きました。
現場では席を用意して頂き、朝夕会も毎日参加。お客さま一人ひとりに腹落ちして習慣としてもらえるまで、泥臭く会話を重ね、論理と情理の組み合わせで推進するべく努力をしました。今振り返っても、銀行の一員として重ねた時間と努力が、濃密な人間関係になっていく過程がとても充実していたと思います。ベンダーさんとの信頼関係作りにも苦労しました。ベンダーさんの作成した計画書や管理状況を否定するところから始まっていますから、最初の頃は和やかな関係とは言えませんでした。それでも行内に席をいただいて一緒にプロジェクトを進めるチームとして時間と会話を重ねるうち、半年経ったあたりからはベンダーさんのほうからも相談していただけるようになりました。このプロジェクトには約2年間に渡って関わりました。退任時には、一週間連続で送別会を開いていただき、最終日には分不相応なほど立派な花束と建屋出口での人間アーチのお見送りを頂きました。本当に名残惜しく感じましたし、東京に戻っても、しばらく抜け殻状態だったと記憶しています。
現在は、事業部長と部長職を兼務しています。個人戦は終わり、世間さまと、お客さま、自社とパートナー会社様と四方よしの実現を命題にしています。それはやはり、仕事に関して私自身のこれまでを振り返っても、心残りはないと言えるほど良い時間を過ごせたと思えるからに他なりません。ここから先はお客さまも社員の皆さんも、自身にとっての“良い時間”を過ごしてもらえるような仕組み作りに誠意と労力を使っていきたいと考えています。